〝日中友好の庭〟の取材がありました。
光文社「女性自身」から、本校「日中友好の庭」の取材がありました。
本誌の「シリーズ人間」の連載で、第51回卒業生 福永典子さんの保護者である福永嫮生様をご紹介するドキュメントです。2月19日発売ですので、楽しみにしておいてください。
本校の「日中友好の庭」について。
1999(平成11)年第51回卒業生 福永典子さんの保護者である福永嫮生様より、ご両親の「中日両国人民永世親隣の信念」を末永くという願いから、私邸にあった庭を寄贈いただいたものです。
嫮生様のご尊父様は、中国清朝「最後の皇帝」愛新覚羅溥儀の弟君 溥傑氏であり、ご母堂様は天皇家と縁戚の嵯峨侯爵家のご令嬢 浩様です。お二人は1937(昭和12)年にご成婚になり、二人のご令嬢(慧生様、嫮生様)をもうけられ、仲睦まじく、愛情深いご家庭を築いてこられました。日中両国間の戦禍にあって、長い間家族の離散を余儀なくされましたが、1961(昭和36)年に16年振りに再会され、以後、夫婦相和し、誠心誠意で中日友好の架け橋に大きな役割を果たされました。
「庭」の中心には、お二人のご成婚に際し、皇太后(貞明皇后)様から授かった禁廷花である白雲木が植えられています。「満州の土に植え、日中友好の花を咲かせるように」と浩様に下賜された種子は、寒冷の満州で芽が出ないといけないからと、実家の嵯峨家で育てられ、終戦の動乱でついに中国へ運ばれることはありませんでしたが、歳月を重ね、その孫木が福永家の庭で育ったのです。この白雲木をはじめとして、数々の樹木や希少な鞍馬石などが配されています。
銘板には、書家でもあった溥傑氏の直筆「燕瀛比鄰航一葦(中国と日本は近隣であって、一本の蘆葦を以て通航し得る如しである)」が刻まれています。