~日中友好のアサガオ~
中国・清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)(1906~67年)の弟溥傑(ふけつ)(07~94年)と旧侯爵・嵯峨家から嫁いだ浩(ひろ)(14~87年)夫妻ゆかり『日中友好のアサガオ』が、本校で今年も花を付けました。日中平和友好条約の調印(78年8月12日)から今月で43年たちます。夫妻の次女、福永〓生(こせい)さん(当時78)は3年前に本校を訪れ、「懐かしく思います」と日中の懸け橋として生きた両親をしのばれました。
40年に東京で生まれた福永さんは、皇帝溥儀を擁した旧満州国(現中国東北部)と日本を行き来して育ちました。45年8月に旧ソ連が対日参戦。溥儀と溥傑は拘束され、ソ連抑留を経て中国で収容されました。福永さんは母と一緒に銃撃戦に巻き込まれながら中国大陸を流転した末、47年1月に日本へ引き揚げました。
一家は離散しましたが、周恩来首相(当時)の取り計らいで文通できるようになり、溥傑が特赦を受けた後の61年、中国で再会されました。アサガオはその時、浩が「日本の思い出に」と種を買って携えていったものだそうです。
福永さんは日本に戻りましたが、溥傑、浩夫妻は北京で共に暮らし、生涯を終えました。アサガオの種は北京の自宅で縁が白い赤紫色の花を咲かせました。「母亡き後は父が7年間、一人でお水をあげたり種を植えたりを繰り返して可愛がって」。13年前、本校に両親ゆかりの樹木などを植えた「日中友好の庭」が造られ、ご息女の母校でもある本校にその種を寄贈されました。
溥傑は天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻時代から交流がありました。92年に両陛下が訪中された時には北京で面会されました。関係者によると、天皇陛下は訪中時を振り返り「溥傑さんにはお世話になった」と周囲に話されているということです。