校祖の日 〜校長先生からの校祖を偲ぶことば〜
今から42年前の昭和56年9月6日、武庫川学院校祖、公江喜市郎先生が逝去されました。そして、一月(ひとつき)後の10月6日には、学院葬が執り行われました。これ以後、学院では、10月6日を校祖の日と定め、先生のご偉業を偲び、先生が掲げられた「高い知性・善美な情操・高雅な徳性」の立学の精神を具体的に実現するために、学院あげて、一層の努力を誓う日としています。
そこで、今日は、公江喜市郎先生の歩んでこられた道のりと功績の数々を、改めて振り返りたいと思います。
先生は、明治30年に、現在の兵庫県丹波市でお生まれになりました。大正7年、兵庫県御影師範学校をご卒業以来、ご逝去に至るまで、63年もの長きにわたり、ひたすら教育の道にご尽力なさいました。
昭和6年、兵庫県の教育担当の責任者として約8ヶ月、欧米諸国の教育事情をご視察。このとき、特にイギリスの私立学校教育に共鳴され、私学創設を決意されました。その後、女子の教育の重要性を痛感され、ついに、昭和14年2月25日、武庫川学院を創設されました。2月25日を創立記念日としているのはここに由来があります。
昭和15年には、西宮市池開(いけびらき)町、今の大学本部がある場所に、新校舎を建設し整備に尽力されましたが、昭和20年6月、空襲により校舎の半分が灰と化しました。こうした様々な困難を乗り越え、昭和22年、武庫川学院中学校開校、翌23年、武庫川学院高等学校開校、翌24年、武庫川学院女子大学開学、翌25年、武庫川学院女子短期大学開学と、毎年のように充実を図られました。先生の人柄とその教えに惹かれ、集った生徒・学生の数は、今では20万人にも及んでいます。創立84周年を迎えた本学院は、今、日本一の女子総合学院として発展し続けています。
本学院は、先生の理想の女子教育を連綿と受け継ぎながら、百周年に向けた新たなビジョン「一生を描ききる女性力」の育成を目指し、新たな時代に向けて、立学の精神を進化させているところです。
ここで、公江先生が残された言葉の一部を二つ紹介します。
一つ目は、本校のシンボルである時計塔についての言葉で、昨年も紹介しました。
「私は学舎に高い塔を建てた。この意味は理想を高く仰ぎ、しかも常に大地に足を踏みしめ、校門の出入りには、感謝の念を以て一礼して通ることを期待しているのだ。」
もう一つは、青年についての言葉です。
「青年とは歳が若い者をいうのではない。大いなる希望を持ち続けている者をいうのである。希望を失った者は老年というのである。」
皆さん、塔を仰ぎ見て一礼をするとき、ぜひ、校祖公江喜市郎先生の、塔に込められた思い、即ち、理想や希望、感謝の念というものを思い起こしてほしいと思います。
そして、武庫川学院の一員として、常に自覚と誇りを持ち続け、生涯を切り開いていく力を培っていってください。以上を、校祖を偲ぶことばといたします。
令和5年10月6日
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明日に体育大会を控える生徒たちは、校祖を偲ぶ映像を拝見しながら、いろいろと想像できたことと思います。
例えば、下にある写真は「昭和45年 高校生・万国博開会行事出場」時のマスゲーム出演をする様子です。
高校3年生による学年演技「創作ダンス」の様子に似ていませんでしたか?
また、今回の映像にはありませんでしたが、中学3年生の「武庫川学院愛唱歌」は、かつての国民体育大会で披露した演技でもあります。
武庫川学院の卒業生が20万人に及んでいると言われる今、私たちはこの素晴らしい学院の生徒や教職員の一員であることを改めて感じさせられたと同時に、
明日の体育大会では、受け継がれているこの伝統を大切にする想いで、それぞれの演技を披露したいと思います。