3.11、東日本大震災~てんでんこ~(生徒たちの活動)

 

東日本大震災から10年目です。朝礼で職員全員で黙祷をして仕事を始めました。本校は「手作りの家庭科作品」のバザー、そして武庫川フェスティバルや演奏会で東日本大震災など、被災地の方々への募金活動を行っています。10年前は「手作りの家庭科作品」を送らせていただきました。写真は生徒が作ったものです。 生徒の作品、当時はオモチャなど園児が喜びそうな品物がたくさんありました。送らせて頂いた園の一つ、宮城県和光幼稚園副園長、渡邊先生と電話でお話しすることができました。

渡邊先生の言葉です。
10年前の震災当日のことです。園は海抜3メートルで5メートル以上の津波が来ることが分かったので避難しました。隣接しているお寺は床板は高いのですが、海水は床板を持ち上げて一階部分は完全に海水が入ってしまいました。この近所だけでも当時、津波で11人、町内では113人の方がなくなられました。原発の地域、そして気仙沼や石巻など大きな町は報道されますが、私たちのような小さな町は大きな被害が出ても報道されません。石巻には震災後にとんでもない量の援助物資が届きましたが、私たちの町にはありませんでした。石巻に務めている近くに住んでいる方が、子供用の下着を持って帰ってきて助けてくれました。
園では毎月11日は避難訓練をします。今日3月11日も園児たち全員で、避難場所の高台まで400メートルを一気に走り上がります。そしてお寺の本堂まで戻り、お亡くなりになった方のためにお経をあげ、2時46分には黙祷をします。
園の各クラスには非常用のリュックサックがあり園児の名簿や非常用の食料などを入れています。副園長の私のリュックには「サラシ」も入れています。園児が怪我をした時や「帯ひも」などにも使えるためです。数年前の避難訓練をした時には、障がいがある30キロの園児がいましたが、私が背負って走り上がりました。

避難訓練の時は「てんでんこ」です。東北地方の言葉ですが「一人一人で」という意味です。先頭は誘導する先生が走り、園児はその後を走って逃げますが、みんなで列になって逃げません。「足の速い子は前の子を抜いていってもかまわない。」と園児に指導しています。避難する一番後ろは先生方が走ります。もし足の速い子が後ろにいて、本当は逃げられたのに、逃げ遅れる園児がでることは絶対に避けたいのです。

渡邊先生は最後に、本校の生徒に「とにかく自分の命を守ってください。それから助け合ってください。生徒の皆さんが今でも東日本大震災のことを忘れず、活動してくださりありがとうございます。」と話してくださいました。