「校祖の日」~理想を高く仰ぎ、大地に足を踏みしめ、感謝の念を以て~

毎年10月6日、武庫川学院の生みの親であり、育ての親でもあった校祖・公江喜市郎先生を偲ぶ行事が本校では行われます。
朝礼の時間を利用してAV1教室で行われました。放送部が作成した記録映画を全校に中継して放送。藤森校長先生が、女子教育に熱心に取り組まれた先生のご偉業や、武庫川学院の歴史を生徒たちに伝え、最後に教職員、生徒全員で30秒間黙祷をして公江先生のご冥福をお祈りしました。
武庫川学院はもうすぐ創立80周年を迎えます。校長先生が本校の歴史を話されましたが、お亡くなりになられた、学年主任を長く勤められた荒川益子先生と国語科主任を長く勤められた伊藤百合子先生が、武庫川学院の歴史について、「武庫川学院創立三五周年記念誌」に書かれていますので一部を紹介させていただきます。

荒川先生「昭和20年終戦間もない秋、私は鳴尾駅を降りた。かつては爆撃におそるおそるながめた空にも、赤とんぼが気持ちよく飛び交い、澄み切った空の向こうには六甲の山なみがくっきりと浮かんでいた。焼跡の中に残った一棟の校舎はすぐに目に入った。正門に立ったとき、はじめて校舎の半ばが戦災にあっているのを知り、当時の職員の方々が死守されたことに頭が下がった。・・・・・・・・・・・・
浜に近い軍の飛行場予定地跡(※今の中高の場所)の荒れた土地にまで出かけては、耕地にすべく、大きな石を二、三人でかかえ生徒とともに片づけたこと・・・懐かしい思い出である。私が着任当時の鳴尾村・渡り瀬の村はすっかり変わり、武庫川学院の発展によって栄、生徒と共にいろいろな体験をした田圃も畑も今は見られず、それらの上には立派な学舎が立ち並ぶのを見、感無量である。」

伊藤先生「時代は進む。徒らな懐古趣味は捨て去るあるべきだろう。学院が35周年の記念の年を期にさらに一大飛躍を試みられんことを心から願うものであるが、失われてはならない心の宝石、それはいつまでも守り続けていきたいと思う。」

本校生徒に話していることですが、身につけているセーラー服、高くそびえる時計塔、煉瓦造りの校舎、登下校の一礼、授業前の黙想、会食、日記「心のあと」の記述、国道43号線鳴尾地下道の輪番清掃に見られる奉仕活動、体育大会のマスゲーム、今も続くルールや活動の多くは公江先生の教育理念から生まれたもので、今なお脈々と受け継がれ、本校の校風を形作っています。

最後に公江先生が残された言葉の一部を紹介します。
「私は学舎に高い塔を建てた。この意味は理想を高く仰ぎ、しかも常に大地に足を踏みしめ、校門の出入りには、感謝の念を以て一礼して通ることを期待しているのだ。若い生命は常に希望に燃えていなければならない。学校が学生・生徒を教育するのは、明日の社会を背負う人物を育てることにある。現実をよく踏まえて、理想を高く掲げることは成年男女いずれにも望まれるところである。
その反面見落としがちなのは、あらゆるものに対する感謝の念である。この学園に学ぶことの幸福を思い、今日一日楽しく勉強できたことを感謝して、校門を去ってもらいたい。こういう気持ちから、私は理想の姿をこの塔にもとめたのである」