「日中 咲き続ける交流」 毎日新聞で報道

 

昨日8月16日、毎日新聞全国版の社会面に本校の庭に咲く、「日中友好のアサガオ」の記事が掲載されました。この記事が掲載された前日は8月15日、73回目の終戦記念日でした。武道館で開かれた平成最後の全国戦没者追悼式で天皇陛下が「おことば」の最後で、「世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられました。「終戦記念日」と「平和」を考えさせられる昨日の毎日新聞の記事、全文を紹介させていただきます。

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中国・清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)(1906~67年)の弟溥傑(ふけつ)(07~94年)と旧侯爵・嵯峨家から嫁いだ浩(ひろ)(14~87年)夫妻ゆかりの「日中友好のアサガオ」が、武庫川女子大付属中・高校(兵庫県西宮市)で今年も花を付けた。日中平和友好条約の調印(78年8月12日)から今月で40年。夫妻の次女、福永嫮生(こせい)さん(78)=同市=が同校を訪れ、「懐かしく思います」と日中の懸け橋として生きた両親をしのんだ。

40年に東京で生まれた福永さんは、皇帝溥儀を擁した旧満州国(現中国東北部)と日本を行き来して育った。45年8月に旧ソ連が対日参戦。溥儀と溥傑は拘束され、ソ連抑留を経て中国で収容された。福永さんは母と一緒に銃撃戦に巻き込まれながら中国大陸を流転した末、47年1月に日本へ引き揚げた。
一家は離散したが、周恩来首相(当時)の取り計らいで文通できるようになり、溥傑が特赦を受けた後の61年、中国で再会を果たした。アサガオはその時、浩が「日本の思い出に」と種を買って携えていったものという。
福永さんは日本に戻ったが、溥傑、浩夫妻は北京で共に暮らし、生涯を終えた。アサガオの種は北京の自宅で、縁が白く赤紫色の花を咲かせた。「母亡き後は父が7年間、一人でお水をあげたり種を植えたりを繰り返して可愛がって」。福永さんは10年前、両親ゆかりの樹木などを植えた「日中友好の庭」が造られ、娘の母校でもある同校にその種を寄贈した。
溥傑は天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻時代から交流があった。92年に両陛下が訪中された時には北京で面会。関係者によると、天皇陛下は訪中時を振り返り「溥傑さんにはお世話になった」と周囲に話されているという。
書家として知られた溥傑の作品は、東京で今夏あった第70回毎日書道展の特別展示で飾られ、両陛下が先月鑑賞した際には福永さんと懇談した。
福永さんは今月9日に同校を訪問し、アサガオを見ながら日中友好に尽力した父母の思い出を語った。5日の夏の甲子園開会式に皇太子ご夫妻が出席された際、福永さんはお二人と面会したといい、「アサガオの話をいたしました」と話した。福永さんは藤森陽子校長から今夏採れた種を贈られると、「(以前)皇后さまへ種をお送りした。雅子さまにも」と喜んだ。
2012年、日本の尖閣諸島国有化を契機に冷え込んだ日中関係は改善基調にある。福永さんによると、「溥傑、浩夫妻の生き方を若い人に見せたい」という趣旨で映画づくりが北京で進められているという。
福永さんは「父は『相依為命』(相手を思いやる気持ちがあれば生きていける)という言葉を大切にしていた。利害関係なしで心と心の交流が一番美しいと申しておりました」と話し、その思いが世代を超えて続くことを願った。

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「日中友好の庭」の近くにいた中学3年生の生徒は「中1の理科の授業で日中友好のアサガオの話を聞き、先生から種をいただきました。家で育てたアサガオが咲いたときに、父が『きれいだね!』と言ったことを覚えています」とキラキラする笑顔で話してくれました。全国高校野球選手権大会が甲子園で開催されていますが、昭和16年から20年までは太平洋戦争のために開催されていません。全国戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉にもありましたが「戦争の惨禍が再び繰り返されぬこと」を切に願っています。